一部方面で嫌儲の話題が持ち上がっていたり、個人的にも無料サービスというものに違和感を感じているので、ここで一度、改めて無料サービスとは何かを考えてみようと思いました。
無料サービスの分類
1. 宣伝としての無料サービス
無料サービスや無料コンテンツ(以下、まとめて無料サービス)というのは、何もインターネットとともに始まったわけではありません。昔から、無料のサービスやコンテンツというものは広く一般的に行われてきたように思います。そのひとつが、宣伝としての無料サービスです。
例えば、スーパーやデパ地下の試食販売。缶飲料の新製品の販促に、少量の缶を作って街頭で配っていたりします。缶の方が高そうですが。
それから、新しく店を開くときに餅をまく、ということがあります。宗教的意味合いも強いのでしょうが、どうぞご贔屓に、という意味合いも多分にあるんじゃないかと思います。
2. 儀礼的・宗教的な無料サービス
封建的社会制度の中で、強者は弱者に施しをしなければならない、という儀礼的規範が生まれた国がありました。現在でも、寄付大国アメリカでは、お金持ちは貧乏人を助けなければならないという意識が根付いていると言われます。根底にはキリスト教的な考え方があるのでしょう。
日本でも、神社での餅まき、振る舞い酒などが宗教的な無料サービスでしょうか。僕の地元だけかもしれませんが、お通夜の宴会は、近所の人も招いて大々的な宴会にする、ということもあります(大往生の場合に限るみたいです)。もちろん、お金は地域コミュニティを通じて、結局は流れ回ることになるんでしょうが、何より、みんな笑顔で死者を送り出すために大盤振る舞いをするわけです。
また、日本では、上に立つ者は気前が良くなくてはならない、というような規範もあるような気がします。一種の宣伝でもあると思いますが、「上司のおごり」であるとか、「会社のおごり」であるとか、「自由に使えるタクシーチケット」であるとか、気前の良さが美徳とされているわけです。
三浦健太郎先生がタダで描いたというのも、これに該当すると思われます。日本人としての気前の良さなわけです(今さら宣伝じゃないですよね?)。
3. ビジネスモデルとしての無料サービス
Googleのサービス群や、テレビ放送がこれに当たります。サービスの消費者がお金を払っているわけではないのに、誰も損をしていないという仕組みです。
この仕組みを支えている重要な前提条件が2つあります。
・広告とセットになっていること(アフィリエイトを含む)
・サービスの消費者が、マスであること
広告とセットになっていなければ、無料サービスは成り立ちません。それ以外に収入を得ている仕組みを僕は知りません。世界中の人々が血眼になって、別な仕組みを求めていることろだと思います。
また、広告の性質上、ある程度の規模以上ではないと収入が生まれません。規模を大きくするために、サービスの質が良くなくてはならない、という制約が発生するということでもあります。
日本のテレビ放送からスポンサーが離れていると騒がれていますが、規模が縮小した(=視聴率が低下した)のと、サービスの質(=コンテンツの質)が落ちたということです。そして、スポンサーが離れて収入が減ると、さらにサービスの質を下げざるを得ないという悪循環に陥る危険性があります。
興味深いことに、「ビジネスモデルとしての無料サービス」は、貨幣を介在していないだけで、ビジネスとしては消費者を巻き込んで成立していると僕は考えます。つまり、消費者としては、広告を見た心象影響という形で対価を払っている、ということです。心象影響がツボった消費者は、その商品を購入することで、対価を払っているわけです。一人当たりの対価があまりに小さいので、無料という錯覚に陥ってしまいますし、消費者がマスでないとビジネスモデルが成り立たないと言うことの根源でもあります。
マス向けにしかビジネスモデルが成立しないと言うことは、サービス提供者にもかなりの規模が要求されます。大規模な会社でないと無料サービスを行えないということです。消費者は、同じ品質であれば、より低価格な方を選ぶので、ある種の囲い込み、独占状態が発生しやすいとも言えます。Google、Yahoo!に、外に追いやられた格好のMSNが、その良い例かもしれません。
身銭を切っている無料サービス
ビジネスモデルとしての無料サービスで、必須条件を満たしていないサービスは、ほとんどが身銭を切っている無料サービスに該当すると思います。
例えば、ほとんどのブロガー。僕もそうですが、広告やアフィリエイトを貼っていても、まともな収益にはなりません。一日2時間、ブログに費やしたとして、月5000円の収入では、時給は83円にしかなりません。
ニコニコ動画も、また「身銭を切る無料サービス」だと僕は思っています。大量のトラフィックを捌くためのサーバを維持するだけでニワンゴは赤字でやってきたと思いますし、匿名でコンテンツを「うp」した人たちも、ニワンゴや消費者から何かビジネス的な(貨幣的な)対価を貰ったわけではない。
ただ、誤解しないでいただきたいのは、「身銭を切る無料サービス」が悪いことだとは僕は思っていないということです。自分で何かを作り出して、それを世に送り出し、コメントを付けて貰えるというのは大変嬉しいことです。それが賞賛コメントだったらなおさらです。まさに「お金で買えない価値」です。
それでも、身銭を切るというのは、多少の痛みを伴うものです。ある程度の豊かさがないと実現できないものです。逆に言えば、ある程度の豊かさがあるならどんどんやればいい。気前の良さを示すときです。
無料に慣れた消費者
インターネット界隈では、身銭を切った無料サービスが多くあります。それを可能にしているのは、(投資資金が集まっているという点で)社会の豊かさと言えるのかもしれませんが、それはともかく、消費者はあまりに無料サービスに慣れすぎてしまいました。
現状を打破する3つの方向性として
・消費者の、サービスプロバイダーへの転向
・無料サービスを実現可能な新しいビジネスモデルの探求
・低価格有料サービスを実現する課金基盤
というのを考えていましたが、頭が割れるように痛いので後日改めて。