■数ヶ月間日雇いだけで生活していたことがある。あの空間は異常だった。
http://anond.hatelabo.jp/20080617032448
教育が鍵になっている点は同意。ただ、そういった労働者を作り出すような教育であったのも事実だと思われる。「善く働き善く消費する、資本主義に従順な労働者を作り出すのが資本主義国家の教育」っていう指針に沿っていたのが、戦後の日本の教育だったんじゃないかなあ。
国家の(というか日本の)存続のための教育って考えると、上述のような「善き労働者」を生み出す教育と、もう一つ「知的資源」を生み出す教育の二つが考えられる。戦後、日本をここまでの国に押し上げた人々には本当に頭の下がる思いだし、それを支えたのが「善き労働者」教育であったのは間違いないと思う。
とはいえ、善き労働者教育体制が続くのは、せいぜい50年だったっていうことじゃないだろうか。本格的に知的資源を生み出す教育にシフトしなきゃいけないのに、安い労働力を求めるが故にその動きが止まっているように見える。
というのが、国家から見た教育の考え方。
人間が人間として幸せに暮らせるための教育、っていうのがあってもいい、というのが僕の考え。そのためには、幸せとは何か、ということに結論を出さなきゃいけなくて、そのために僕は頑張ってるわけだけど。
日雇いで働いて、そのお金をタバコとパチンコと風俗に費やして。元記事でも指摘されているように、本人は、実は幸せに感じている部分もあるんじゃないかと思うんだけど、生存権とか居住権とか権利の話は抜きにして考えたとして、それでも本当に幸せなんだろうか?
幸せとは何だろうか?
なぜ人間は、人間らしく幸せに生きなければならないのだろうか?
某国のように、国家的に覚醒剤を作って、国民に行き渡るようになったら、国民は幸せなんだろうか。それはタバコやパチンコや風俗と、何が違うんだろうか。
# 家庭を持つって言うのは、何事にも代え難い幸せで、人間らしい幸せのひとつだよね、きっと。
コメントする
コメントしても反応がない場合は、気が付いてないだけですので、Twitterなどでつっついてください。