全く面白くないのでスルーの方向で。
実に恥ずべきことに、不愉快な事象が5,6個重なった程度で
怒ってしまい、今日は反省の一日でありました。
怒りに目がくらむなど、実に愚かしい。
きっかけはささいなことで、とある友人に乞われて、とあるものを
貸したところ、中身を意図的にすりかえて返されていた、
ということに昨日ようやく気が付いた、ということでした。
彼の性分として、人に物を借りるということに、
何のエネルギーギャップも感じない、むしろエネルギーバンドは
より低位にある、と考えるような人間であります。
これまでにも、貸したものが返らない、
貸したものが傷ついて返ってくるなど、ありましたので
仏の顔理論ですと、怒りを感じてもやむないことなのではありますが、
それでも堪忍袋の緒は切られるべきではなかったと思うのです。
しかるに、彼のような、いわゆる欲たかりの人に対して
寛容の心を示すとは、いかなる行動であるのか。
「与えること」は誤りでしょう。左の頬を打たれたときに
右の頬を差し出して意味のある社会では、すでにない。(*1)
「諭すこと」は間違いではない、ですが、一歩足りないと思うのです。
「彼を育んだ社会を認め、社会にコミットメントし続ける」
ことこそ、真の寛容であると考えるのであります。
やはり、そこが僕の道だと思うのです。
自分の道は、確かに見えているつもりでも、
彼に対しては親愛の情を抱いておりましたので、
情が目を曇らせる、そのことを気付かせてくれた彼には
本当に感謝しています。
「俺たち友人だったの?(鼻で笑う)」などと言われて
少なからずショックを受けているようでは、
まだまだだなあと思った次第です。
*1 否定するわけではないですし、意味を求めての行動ではない、
と解釈されているのは理解しております。
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