古代人の心は、神の声を聞く心と、それに従う心に分かれていた、などと、
ウィキペディアンが言うので、古代文明というのは、なんというか、薬でキメて、
幻聴の赴くままに行動するアレゲな人々が徘徊するような、
かなりカオスなものなのかと想像して、いやいやいやいや、無いだろ、とか思ったので、
原典に当たることにしました。
■二分心 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%88%86%E5%BF%83
で、『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』が届いたんですが、
あまりの厚さに読む気ダウンw
ペラペラ読み飛ばして分かったのは、二分心を持っていたのは、ヒエラルキーの上の人たち
ということのようです。
うーむ、それは別に、意識の発達と無関係と言っても筋は通るんじゃないかな。
そういう神の声を聞くことに秀でた人を祭り上げた(政り上げた)だけの気もする。
(社会全体の意志決定を行うには意志の弱い人々が、自分たちの意志決定機関として)
で、さらにいうと、それって別に、意志が発達したはずの現代人でも同じなんじゃないの?
っていう。
流れること水のごとし。
とはいえ、現代人的な意志を持った人々でも、古代文明の社会を形成することが可能だと
思うっていうだけで、実際のところ、二分心のような意識を持った人がいたかどうか、
可能性としてあるかどうかは、分からないんですけどね。
僕が、二分心を認識する術がない以上、それについて議論することには
(僕にとって)意味がないという。
# と思ったら、原著は1976年なんですね。
# とっくに議論はしつくされたという状況なんでしょうか。
## で、結局、二分心を持った人々がいたから文明が発達した、という理由では、
## 約6000年の停滞が説明できないわけで、ふりだしに戻る。
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