思い付いたままにメモ。自分用。正確性は保証しない。あと、読んでも面白くないと思う。
ニーチェもブッダも、ともにこの世の物質的なもの、物質に起因する精神的なものすべてが、一時的であることを知った。(日本に伝わっている)仏教で言うところの、万物流転、もしくは諸行無常、色即是空 空即是色。
一方で、両者とも、そのままでは人間には生きる意味がないことにも気が付いた。いずれ消えるのと、今消えることに違いはない。
ニーチェは、人間は生きる意味を見いださずには生きては居られない、という点までは到達した。最終的に、彼は狂気に捕らわれた。
ブッダは、人間の生きる意義を、道徳的な観念に求めた。仏教僧に帰依するという道徳的行為。また、仏としての道(生き方)を伝えることにも意義を見いださせた。
カントが、道徳は宗教へと至る、と言ったように、仏教僧に帰依するという道徳的観念のみでは、教えを伝えるのに(すなわち宗教として)不十分で、結局は、輪廻転生という宗教的概念や、土着の神々を巻き込んで宗教となった。
という仮説。
カントの定説を破ることが僕の生きる意味なんだろうなあ、と改めて思ったのでメモ。
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