ときどき思い出さないと、スポーンと抜けてしまうような性能の悪い脳味噌の持ち主なので、メモ。
悟りを開くと、生への執着も消え、そのままだと死んでしまう。死を回避するための考え方としては、以下の3つがある。
1. 自然に生きる
ブッダの解。「色即是空」という言葉にさえ執着するのをやめる。自然に食べ、自然に眠り、自然に生き、自然に死ぬ。
ただ、「自然に生きる」と言葉で定義した時点で言葉に捕らわれている、とも言える。想起した時点で、概念に捕らわれている。その意味で、2番に含まれる、と言えるかもしれない。
2. 「規範に従って生きること」を例外とする
「規範」を「道徳」に言い替えても良い。「道徳は宗教に通じる」を適用して、「規範」を「神」に言い替えても良い。キリストや、諸々の宗教での解。
「自分の使命に生きること」を例外とした、以前の俺の解でもあった。
3. 悟りを開く上での仮定を検証するために生きる
2番の解に納得できなくなったときのセーフティとして考え出した解。悟りとは、「すべてのものは空である」と理解することであるが、空である「すべてのもの」は、この宇宙に限定される。なぜならば、それが人間の認識できる限界だからである。もしかしたら、この宇宙を誕生させた別の宇宙、もしくは時空間、もしくは次元を超えた何か、では、「すべてのものは空」ではないかもしれない。万物は流転していないかもしれない。仮定が検証されるまでは悟ったことにならない。
仮定を検証するためには人類のさらなる発展、進化が必要になる。そのために生きることは、悟りを開くことと矛盾しない。
この宇宙の外側の、さらに外側の、・・・とか続けていくと、延々と終わらなさそうなのも好都合である。
4. 悟りを忘れる
川を渡り、彼岸を見て、納得して、また川を戻ってきて、今まで通りの生活を送ることもできるかもしれない。また、どうせ空なら何をやってもいいじゃん、という考え方もできる。ただ、最終的には、精神が保たないんじゃないかと思う。
コメントする
コメントしても反応がない場合は、気が付いてないだけですので、Twitterなどでつっついてください。